03. トラック予測性能
変異効果予測(次ページ以降)の前提は、「見たことのないゲノム領域でも、配列から実験トラックを正確に再現できる」 ことです。このページでは、AlphaGenome の トラック予測(genome track prediction) の評価——論文の Performance overview と Fig. 2——を見ていきます。
1. 評価の枠組み:未知領域での汎化
トラック予測の評価には、02 で作った fold 別の事前学習モデル を使います。4分割交差検証の「学習に使っていない 1/4 の領域(held-out)」で予測させ、各タスクで その時点で最強の外部モデル と比較します。
- 評価タスク数:24(11 モダリティすべてを網羅、Methods / Supplementary Table 3)。
- 結果:24 中 22 で外部モデルを上回る(Fig. 1d, Extended Data Fig. 3)。
学習に使った領域で当てられるのは当たり前です。本当に知りたいのは「配列の規則を理解して一般化できているか」。だから、学習時に一切見ていない held-out 領域で評価します。ここで高い精度が出るほど、変異という「配列の小さな変化」に対する予測も信頼できる、という論理です。
2. 主な比較対象(外部モデル)
AlphaGenome は、マルチモーダルモデルと専門特化モデルの 両方 と比較されます。
| 外部モデル | タイプ | 主な土俵 |
|---|---|---|
| Borzoi | マルチモーダル(長入力・低解像度) | RNA-seq・CAGE・ATAC など多数 |
| Enformer | マルチモーダル(長入力・低解像度) | 発現・クロマチン(128 bp) |
| Orca | 専門特化 | 3次元接触マップ |
| ProCapNet | 専門特化 | 転写開始(PRO-cap) |
| ChromBPNet | 専門特化 | クロマチンアクセシビリティ(DNase/ATAC) |
代表的な改善幅(相対改善率、Fig. 1d より):
- 遺伝子発現(細胞型特異的 LFC):Borzoi 比 +14.7%。
- 接触マップ:Orca 比 Pearson r +6.3%、細胞型差の予測 +42.3%。
- 転写開始(PRO-cap, 総カウント):ProCapNet 比 +15%。
- アクセシビリティ(profile JSD):ChromBPNet 比 ATAC +1.6%・DNase +9.5%。
通常、汎用(マルチモーダル)モデルは特定タスクで専用モデルに負けがちです(01 の第2のトレードオフ)。AlphaGenome は、Orca・ProCapNet・ChromBPNet という 各分野の専用モデルをそれぞれの土俵で上回りました。「統合しても専門性を犠牲にしない」ことを示した点が、この論文の大きな主張です。
3. 評価指標を読む:Pearson r と JSD
トラック予測の良し悪しは、主に次の指標で測ります。記号を使う直前に意味を渡しておきます。
Pearson 相関係数 — 予測トラックと実測トラックが「どれだけ一緒に上下するか」。予測値 と実測値 (各位置 )について、
が完全一致、 が無相関です。形(パターン)の一致を見るのに適します。
Jensen–Shannon ダイバージェンス(JSD) — 予測した「シグナルの形(プロファイル)」と実測の形を、確率分布とみなして比較する距離です。小さいほど良い(理想は 0)。アクセシビリティの「プロファイルの形」を評価するのに使われます(profile JSD)。2つの分布 と中点 について、KL ダイバージェンス を用いて
と定義されます。
Fig. 1d の表で、ほとんどのタスクは「値が 1.0 で完璧」を意味しますが、profile JSD だけは「0 が理想」 です(距離なので小さいほど良い)。また分類タスクでは、ランダム分類器の性能を差し引いて相対改善率を調整しています。指標の向きが混在しているので、表を読むときは注意が必要です。
4. 具体例:LDLR 遺伝子まわりのトラック予測(Fig. 2a,b)
Fig. 2 は、ヒト第19染色体の 1 Mb の held-out 領域(HepG2 細胞株)で、実測と予測のトラックを並べた例です。
- RNA-seq:エクソン上の 鎖特異的・塩基解像度 の読み取り深さを再現。
- スプライシング:LDLR 遺伝子まわりで、スプライス部位(ドナー/アクセプター)・部位使用率・スプライスジャンクション の読み取り深さを 50 kb 領域で予測。
- クロマチン:ATAC・DNase・H3K27ac・CTCF ChIP-seq なども予測(解像度は RNA-seq/ATAC/DNase が 1 bp、ヒストン/TF ChIP が 128 bp、接触マップが 2,048 bp)。
予測と実測の読み取り深さは、未知領域でも高い一致を示しました(Fig. 2a)。
5. モダリティ別・組織特異性の評価(Fig. 2c–e)
モダリティごとの相関(Fig. 2c)
held-out テスト領域で、予測と実測のトラック相関(Pearson r)の分布をモダリティ別・種別(ヒト=赤 / マウス=青)に示したもの。スプライス部位使用率や RNA-seq など多くのモダリティで高い相関が得られています。一部の log 変換(スプライスジャンクション・RNA-seq・PRO-cap・CAGE・ChIP-seq は 変換)を施して評価しています。
遺伝子発現の「絶対量」と「細胞型特異性」(Fig. 2d)
遺伝子発現の予測は、2つに分けて見る必要があります。
- 絶対的な発現量 — 遺伝子ごとの平均的な発現レベルは よく予測できる。
- 細胞型特異的な偏差 — 「この遺伝子はこの組織で特に高い/低い」という細胞型特異性の予測は 依然として難しい(Fig. 2d, Supplementary Fig. 2j)。
「遺伝子の平均発現量は当てやすいが、組織ごとの差(どこで特に発現が高いか)を当てるのは難しい」のは、この分野全体の既知の課題です。AlphaGenome は細胞型特異的 LFC で Borzoi 比 +14.7% と改善しましたが、それでもまだ完全ではありません。07 の限界の議論にもつながる重要なポイントです。
スプライスジャンクション数の予測(Fig. 2e)
新規のスプライスジャンクション予測機構(02・詳細は 04)により、スプライスジャンクションの読み取り数( 変換、)を、スプライシングパターンの異なる複数のヒト組織で実測とよく一致させました。
6. スプライシング・トラックの詳細(Extended Data Fig. 2)
スプライシングについては、AlphaGenome は次を正確に予測します。
- スプライス部位(ドナー/アクセプター)の分類。
- スプライス部位使用率(SSU) と、定量的な スプライスジャンクション読み取り数。
- 組織内の PSI5 / PSI3(5'側・3'側のスプライス部位の使用割合)。
ただし、中間的なスプライシング効率の精密な予測 や 組織特異的な細かいニュアンス には、なお改善の余地があるとされています(Extended Data Fig. 2c,e)。
PSI は「あるエクソン(や部位)が、転写産物の中でどれくらいの割合で取り込まれているか」を 0〜1 で表す指標です。PSI5 は 5' スプライス部位(ドナー側)、PSI3 は 3' スプライス部位(アクセプター側)の使用割合を指します。スプライシングは「全か無か」ではなく 割合 で起きるので、この連続量を当てられるかが重要になります。
7. まとめ
- fold 別モデルを 未知(held-out)領域 で評価。24 タスク中 22 で SOTA。
- マルチモーダルモデル(Borzoi・Enformer)だけでなく、専門特化モデル(Orca・ProCapNet・ChromBPNet)もそれぞれの土俵で上回る。
- 指標は主に Pearson r(大きいほど良い)と profile JSD(小さいほど良い)。
- 発現の絶対量は得意・細胞型特異性は難しい、という分野共通の課題は残る。
- 新機構により スプライスジャンクション の定量予測が可能に。
トラックを正確に当てられるということは、「参照配列」と「変異配列」の予測を比べれば変異の影響がわかる ということです。次の 04. スプライシング変異 から、いよいよ変異効果予測に入ります。